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むかし しもくめだ やろく よ まれ くら
な ちからも |
昔、下久米田に弥六という世にも希な(比べるものが無いほどの)力持ちがいました。 |
しんえようすい はし ときどき いた むらびと こま み やろく いしばし か おも |
新江用水の橋が時々傷んで、村人が困っているのを見て、弥六は石橋を架けようと思い |
ひ に り とお やまおく い おおいわ かつ き なが はっしゃく |
つきました。ある日、二里も遠くの山奥に行って、大岩を担いで来ました。長さは八尺もあ |
おおいわ かつ く とちゅう き えだ お せなかあ あと たば はちそく |
る大岩で、担いで来る途中、木の枝を折って背中当てにしました。後で束にすると八束の |
しば やろく むらはず
りっぱ はし |
柴ができたということです。こうして弥六のおかげで村外れに立派な橋ができました。 |
やろく かいりき も
むらじゅう おそ なに き
く |
弥六はこのように怪力を持っていたので村中から恐れられていました。何か気に食わぬこ |
たいぼく き た あば だ も やま |
とがあると、すぐに大木を切り倒して暴れ出しました。そこで、ガンドウやナタを持って山に |
はい やろく て い たちき |
入らせないようにしました。すると、弥六は手でやるのはかまわないだろう」と言って、立木 |
は かたっぱし ね ぬ
と むらびと おどろ はなし |
(生えている)を片端から根こそぎにして抜き取り村人を驚かしたという話があります。 |
あと しもくめだ あたら はし つく
いしばし つか おおいわ たかしまけ うつ |
その後、下久米田では新しい橋を作ったので、石橋として使ったこの大岩は高嶋家に移さ |
いま くめだじんじゃ のぼ ぐち うつ た |
れました。さらに、今は、久米田神社の登り口に移されて建てられています。 |
むらびと いわ やろくいわ よ |
村人は、この岩を「弥六岩」と呼んでいます。
束・・・稲や雑木を一纏にして縛ったもの。 一抱えの大きさ。 |
ころ かなづざい せんぞく やろく しそん ひと たず
き おが |
いつの頃か、金津在の千束から、弥六の子孫だという人が訪ね来て、「ぜひ拝ませてくだ |
い いわ まえ とお なみだ なが |
さい」と言いました。そこで、岩の前に通すと、そこにひざまづきポロポロと涙を流しながら |
なんど おが おや だい き せんぞ
て いわ おも |
何度も拝みました。「親の代から聞いてはいましたが、先祖が手にかけた岩かと思うと、 |
ぜ ひ いちど み い よろこ かえ い |
是非とも一度見せていただきたかったのです。」そう言って、喜んで帰って行きました。 |
やろく しそん もりけ だいだい おおおとこ ちすじ おぐろ たいへん に
ちから |
弥六の子孫は森家といい、代々大男の血筋ということです。小黒にも、大変よく似た力 |
も おとこ はなし しんざえもん
ひと はなし |
持ちの男の話があります。新左衛門という人のお話です。 <越前丸岡の民話と伝説> |