写真でふりかえる 鳴鹿小学校130年の歴史 |
■昭和戦前・戦中期(1926〜1945) |
上金屋八幡神社と 大谷尋常高等小学校。 大ケヤキは大正末期の 台風で倒れてしまったという。 写真:昭和初期頃 (『鳴鹿小学校百年史』より) |
昭和14年(1939) | 上金屋九ノ十番地に校舎改築落成。 |
校舎落成を記念して撮影 写真:昭和14年6月 (『鳴鹿小学校百年史』より) |
奉安殿も新築された。 奉遷式が行われ,御真影(ごしんえい 昭和天皇・皇后両陛下の写真)が納められた。戦後,撤去された。 写真:昭和14年 (『鳴鹿小学校百年史』より) |
鳴鹿山鹿の分教場も改築された。 写真:昭和14年頃 (『鳴鹿小学校百年史』より) |
昭和16年(1941) | 国民学校令により,鳴鹿村国民学校と改称。 |
いよいよ軍国主義教育が台頭してきた。 これは当時の修身(今の道徳にあたる)教科書 (『鳴鹿小学校百年史』より) |
敗戦が濃厚になった昭和20年(1945),国民学校初等科以外の授業を停止。高等科の生徒は軍需工場や勤労奉仕作業に動員された。また運動場は全部いも畑と化した。 写真:昭和20年頃 (『鳴鹿小学校百年史』より) |