写真でふりかえる
鳴鹿小学校130年の歴史
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◆ご覧のみなさまにお願い◆お宅に鳴鹿小学校および鳴鹿地区に関する古い写真はありませんでしょうか。特に創立当初〜旧校舎(上金屋)に関する写真を求めております。また,最近のものでも1980年代までの写真が不足しております。情報提供してくださる方は,本校までご連絡ください。よろしくお願いします。◆このページに掲載されている写真について,撮影年月などがはっきりしないものがあります。情報がお分かりの方は,本校までお知らせください。よろしくお願いします。◆
■樫(かし)の木は知っている                    北 山 賢 一
↑上写真は旧鳴鹿小学校正面に立っていた樫の木(昭和50年頃)。昭和14年にこの位置に移植され,さらに昭和53年の校舎移転の際に現在地に移植されました。
←左写真は現在の樫の木。児童玄関と体育館の間に立っています。
 鳴鹿小学校の正面玄関を入った左側に大きな樫の木(学名はウラジロカシ)が立っている。幹の回りが210センチ余り,樹齢は百数十年と思われる。この樫の木は小学校の玄関に百年以上も立ち続け,鳴鹿の子どもたちを朝夕見守り続けている。
 明治41年9月,「大谷尋常小学校」が鳴鹿村上金屋地籍(上金屋の神社南側の広場)に新築されたとき,樫の木が植えられた。それから33年後の昭和14年に上金屋の北側(現在の鳴鹿幼保園がある位置)に校舎が新築移転したので,樫の木も校舎正面の庭園に移植された。その後,鳴鹿国民学校,鳴鹿小学校と校名が変更され,この地で約40年間,児童生徒・先生方の姿を見守ってきたが,昭和53年9月,木造校舎の老朽化に伴い,楽間地籍(現在の地)に校舎が新築移転したのに伴い,樫の木も三度目の移植が行われ現在に至っている。この間,明治,大正,昭和,平成の四代を百年余り生き抜いてきた樫の木は,鳴鹿小学校の歴史を知る唯一の生き証人であり,貴重な遺産である。
 昭和53年10月,「鳴鹿小学校創立百周年及び校舎新築落成記念事業」が行われたが,その一環として樫の木前の地下にタイムカプセルが埋められた。当時,愛育会会長の私は,イチョウの木を幼稚園脇に記念植樹したが,25年を経過した今では校舎を遥かに凌ぐ高さに成長している。
樫の木横にタイムカプセル「時の箱」が埋められています。開けられるのは2028年の予定。 昭和53年に植えられ,今では校舎を凌ぐ高さに成長したイチョウの木。
北山賢一氏
・昭和8年,福井県坂井郡鳴鹿村(現丸岡町)生まれ。
・昭和53年度 鳴鹿小学校愛育会会長
・主な著書「越まほろば物語」「福井県警察史」「風雪少年期」「テング松と権助」