鳴鹿小学校の正面玄関を入った左側に大きな樫の木(学名はウラジロカシ)が立っている。幹の回りが210センチ余り,樹齢は百数十年と思われる。この樫の木は小学校の玄関に百年以上も立ち続け,鳴鹿の子どもたちを朝夕見守り続けている。
明治41年9月,「大谷尋常小学校」が鳴鹿村上金屋地籍(上金屋の神社南側の広場)に新築されたとき,樫の木が植えられた。それから33年後の昭和14年に上金屋の北側(現在の鳴鹿幼保園がある位置)に校舎が新築移転したので,樫の木も校舎正面の庭園に移植された。その後,鳴鹿国民学校,鳴鹿小学校と校名が変更され,この地で約40年間,児童生徒・先生方の姿を見守ってきたが,昭和53年9月,木造校舎の老朽化に伴い,楽間地籍(現在の地)に校舎が新築移転したのに伴い,樫の木も三度目の移植が行われ現在に至っている。この間,明治,大正,昭和,平成の四代を百年余り生き抜いてきた樫の木は,鳴鹿小学校の歴史を知る唯一の生き証人であり,貴重な遺産である。
昭和53年10月,「鳴鹿小学校創立百周年及び校舎新築落成記念事業」が行われたが,その一環として樫の木前の地下にタイムカプセルが埋められた。当時,愛育会会長の私は,イチョウの木を幼稚園脇に記念植樹したが,25年を経過した今では校舎を遥かに凌ぐ高さに成長している。 |