写真でふりかえる 鳴鹿小学校130年の歴史 |
■昭和20,30年代(1945〜1964) |
昭和22年(1947)4月1日 | 学制改革により,鳴鹿村立鳴鹿小学校に改称。 |
昭和30年(1955)3月31日 | 町村合併により,丸岡町鳴鹿小学校に改称。 |
鳴鹿小学校空からの風景 写真:昭和30年代後半 (『鳴鹿小学校百年史』より) ※この写真は昭和20年代とされていましたが,昭和30年代後半であることが判明しましたので,訂正いたします。なお校庭が矩形に改良されたのは,昭和43年7月です。 |
昭和23年(1948)4月1日 | 保健教育研究指定校となる。 |
昭和25年(1950)5月19日 | 保健教育研究発表会を開く。 |
昭和31年(1956)〜33年 | 福井県健康優良学校として3年連続表彰を受ける。 |
昭和34年(1959)11月1日 | 健康優良学校福井県1位の表彰を受ける。 |
昭和27年(1952)当時の鳴鹿小学校正面。当時の教職員により『鳴鹿村誌』が編さんされた。 (写真:『鳴鹿村誌』より) |
「床の光は心の光」 の合い言葉の清掃 写真:昭和20年代頃 (『鳴鹿小学校百年史』より) |
集団登校風景。京福電鉄永平寺線の踏切を渡る。なお永平寺線には友末・楽間・鳴鹿(東二ツ屋)の3駅があったが,昭和44年(1969)9月18日,金津(現JR芦原温泉)〜東古市(現えちぜん鉄道永平寺口)が廃止された。現在の県道17号勝山-丸岡線がそれである。 (写真:昭和36年 本校所蔵) |
「歩行モデル廊下」交通安全班の児童が手さばきも上手に。 (写真:昭和36年 本校所蔵) |
昭和31年から3年連続, 福井県健康優良学校としての表彰を受けた。 (『鳴鹿小学校百年史』より) |
昭和34年には,健康優良学校福井県1位の表彰を受けた。 (『鳴鹿小学校百年史』より) |
昭和36年(1961)頃の「仲よし会」活動(今の児童会,委員会活動にあたる) |
保健部。調査統計グラフ書き。 | 給食部。何と児童が給食の食器を洗っていました。 |
整美部。ろう下に花びんを付けています。 | 体育部。用具をみがいています。 |
当時は購買部がありました。「はぶらし20円…」など。 |
(写真:昭和36年 すべて本校所蔵) |